明治九谷焼・赤絵「九谷,晴山堂」(七寸皿)
状態はとても良く奇麗です。皹や瑕等はありません。
(桐の古い箱ですが、少し反りが出ております)。
サイズは、直径218×高さ43ミリ、
重さは480グラムあります。
【九谷焼/くたにやき】
石川県金沢市などで生産されている磁器。 1655年頃に大聖寺藩の九谷村で創業、その50年後に廃窯する。この頃のものを「古九谷」と呼ぶ。 17世紀、、良質の陶石が発見されたのを機に、大聖寺藩士の後藤才次郎を有田へ赴かせ、 帰藩後に藩の政策として焼成が始まる。藩前田家の豊かな財力で全国から著名な職人、 画家、学者、茶人たちが招かれ、多くの優れた美術工芸品が制作され、 その意匠は大変優雅で豪放華麗なものであった。
古九谷の廃窯から、約一世紀後の1807年に加賀藩が京都から 青木木米を招き金沢の春日山に春日山窯を開かせたのを皮切りに、 数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。
明治時代になると明治政府は国力増強のため、殖産興業・輸出振興策を打ち出し、 1873年のウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると、 その美しい金襴手などの意匠が外国人の趣向と一致し、九谷焼は主要な輸出品となる。
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