相較於工廠大量生產的規格化商品,手工製作的古董所呈現的是一種難以言喻的美感,獨一無二的呈色、細緻的作工,透露著當代的生活風格及設計製作者的用心。古樸和華麗交錯,懷舊和現代疊印,和風古董,凝結了片刻的美好。
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2018年5月14日 星期一
九谷細密花鳥圖四方皿 榮生堂製
九谷細密花鳥圖四方皿 榮生堂製
19.1cm×15cm 高さ3.4cm
春名繁春(栄生堂) 弘化4年(1847)生、大正2年(1913)歿
春名繁春は、絵画を加賀藩御抱絵師 佐々木泉龍に、陶画を任田徳次(旭山)に学びました。栄生堂と号しました。
明治6年(1873)から同9年(1876)の間、阿部碧海窯の陶画工として従事しました。その評判は内海吉造と並び称せられるほどで、金沢九谷の名工でした。
明治6年のウィーン万国博覧会、同9年のフィラデルフィア万国博覧会に出品して賞を受け、いずれも人物、花鳥などを描いた30cm前後の金襴手の花瓶でした。
阿部碧海窯に従事した後、円中孫平の錦窯で陶画工として優品を制作しました。中に、70cmの大きな耳付の金襴手の花瓶がありました。
明治15年(1882)、円中が事業不振に陥ってから、活躍の場を広げました。まず、横浜に出て、薩摩焼の絵付に従事しました。そして、明治22年(1889)、東京職工学校に模範職工として招聴され、同35年(1902)まで東京高等工業学校に勤めました。この間、ゴットフリード・ワグネルの旭焼(ワグネルが開発した釉下彩の技法で作った)を補助し、また図案の雑誌を発行しました。
その後、京都に移り、陶磁器試験所で藤江永孝の下で作品を制作し、さらに九代 錦光山の図案教師として招聴されました。錦光山が装飾の豊かな色絵陶器を制作し、その輸出を図っていたので、繁春は図案の制作に携わりました。
九谷焼における門人に、柳田素山、島田芳山、廣瀬常次郎、平松時太郎などがいました。
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