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2014年5月5日 星期一

九谷燒 鵪鶉花鳥皿 直徑一尺 青山造 已交流


九谷焼、<花・鳥ゑ>、「華陽の譜、飾り皿」、<九谷・青山作>_画像1














九谷焼、<花・鳥ゑ>、「華陽の譜、飾り皿」、<九谷・青山作>_画像2




九谷焼、鵪鶉花鳥皿 直徑一尺<九谷・青山作>


「華陽の譜、飾り皿」

皿  口径31.1cm、底径18.7cm、高さ4.4cm、
共箱  横幅34.4cm、縦幅34.4cm、高さ8.9cm、


12 則留言:

  1. 博主先生,您好!非常渴望就日瓷九谷烧得到您的指点!这篇博文中的鹌鹑花鸟皿,是您的收藏吗?还是已经出手?我听说这是古九谷当中的代表作,价格极高,是这样吗?
    博主的收藏令人叹为观止,赞一个!

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  2. 博主看来很忙,冒昧的问一下:可否留个联系方式?多谢,无礼之处,请见谅!

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  3. 你好,這件陶瓷已與友人交流了,這件不是古九谷。真正的古九谷作品,你可以上日本的九谷燒網站去觀看。這件應當是屬於比較近代的作品,我也只是初學者,請多指教

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  4. Mark Luis是那裡的人呢,有意見也歡迎在這裡交流喔

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  5. 联系方式:yore4@yahoo.com.tw

    都可以的

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  6. 赏星博主好!多谢回复!我曾听一个神交的师友说过此款瓷器,就其釉下金彩及火石红来说,是古九谷,该师友曾为北京故宫博物院研究员。您说的网站是日文的,对吗?可惜在下不懂,不好意思。
    对了,我是山东的。

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  7. 大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として、始められるが、約50年後(18世紀初頭頃)突然廃窯となる。窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる、2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っている[1]。

    「古九谷」と呼ばれる磁器は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色で、様式から祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、青手などに分類されている。祥瑞手は、赤の輪郭線を用い、赤、黄、緑などの明るい色調で文様を描いたもの。五彩手は黒の輪郭線を用い、青、黄、緑、紫などの濃色で文様を描いたものである。青手は、色使いは五彩手と似るが、素地の白磁の質がやや下がり、素地の欠点を隠すように、青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式のものである[2]。

    これら「古九谷」と呼ばれる初期色絵作品群の産地については、戦前から1960年代にかけて「九谷ではなく佐賀県の有田で焼かれたものである」という説が主張されはじめた[3]。有田の山辺田窯(やんべたがま)、楠木谷窯などの窯跡から古九谷と図柄の一致する染付や色絵の陶片が出土していること、石川県山中町の九谷古窯の出土陶片は古九谷とは作調の違うものであったことなどから、「古九谷は有田の初期色絵作品である」との説が有力となった[4]。

    東京都文京区本郷の大聖寺藩上屋敷跡(現・東京大学医学部附属病院敷地)からは大量の古九谷風の色絵磁器片が出土した。1987年以降、これらの磁器片の胎土を蛍光X線分析、放射化分析によって科学的に調査した結果、肥前産の磁器と九谷産の磁器が抽出された。その結果、伝世品の五彩手古九谷や青手古九谷と同様の磁器片は肥前産であると判断され、一方、分析結果から九谷産とみなされる磁器片は伝世の古九谷とは胎土、釉調、成形などの異なるものであると判断された[5]。

    以上のような窯跡の発掘調査や出土品の化学分析などの結果から、従来古九谷と位置づけられてきた一群の初期色絵磁器は、その大部分が1640 - 1650年代の肥前産と考えられている[6]。しかし、1998年、九谷古窯にほど近い九谷A遺跡から、古九谷風の色絵陶片が発掘されたことから、「複数の産地で同一様式の磁器がつくられていた」可能性を探るべきだとの意見もある[7]。

    翻譯如下:(翻譯軟體直翻,文法較不通順)

    向時機在大聖寺藩領地的九谷村(現在的石川縣加賀市),質量良好的陶石頭被發現了的,讓藩士的後藤才能次郎到技能的學會前往給有田,歸藩後的智惠日曆初期(1655年時候),作為藩的發展生產政策,能開始,不過,約50年後成為(18世紀初左右)突然廢爐。與加賀市山中溫泉九谷町有爐痕跡,被稱作1號爐,2號爐,2個連房式登爐,19世紀被復興的吉田舖爐的痕跡留存著的[1]。

    被稱呼為「古九谷」的瓷器,與青,綠,黃等的濃顏色用得多的華麗的使用顏色大膽嶄新的圖案由於特色,從格式被祥瑞手(是做yonzui),五彩手,青手等分類。祥瑞手,用紅的輪廓線,用紅,黃,綠等的明亮的色調描畫家徽的圖樣的東西。五彩手用黑的輪廓線,用青,黃,綠,紫色等的濃顏色描畫家徽的圖樣。青手,使用顏色與五彩手相似,不過,底子的白瓷的質量稍稍下來,為使遮住底子的缺點,青,黃,綠,紫色等的濃彩沒有餘白地是全面塗抹的格式的東西的[2]。

    被稱呼為這些「古九谷」的初期關於彩色畫作品群的產地,是從戰前到1960年代「不是九谷佐賀縣的有田被燒(烤)」這個見解開始被主張的[3]。有田山邊田爐(yan全面癩蛤蟆),變成由於從楠木谷爐等的爐痕跡古九谷和圖案相符的染上顏色和彩色畫的陶片出土,石川縣山中町的九谷古爐的出土陶片古九谷作品風格不同事等,「古九谷是有田的初期彩色畫作品」見解有力的[4]。

    從東京都文京區本鄉的大聖寺藩上屋敷痕跡(現實·東京大學醫學系附屬醫院用地)大量的古九從山谷刮上來的風的彩色畫瓷器片出土了。1987年以後,熒光X射線分析這些瓷器片的胎土,通過輻射化分析科學地調查的結果,肥前產的瓷器和九谷產的瓷器被提取了。那個結果,與引線世間品的五彩手古九谷和青手古九谷同樣的瓷器片被判斷是肥前產,另一方面,從分析結果被看作九谷產的瓷器片被判斷引線世間的古九谷胎土,釉子風格,形成等不相同的[5]。

    從象以上一樣的爐痕跡的發掘調查和出土文物的化學分析等的結果,以前被賦予地位古九谷的一群的初期彩色畫瓷器,是能考慮那個大部分1640-1650年代的肥前產的[6]。從可是,1998年,從為九谷古爐不太遠的九谷A遺跡,古九從山谷刮上來的風的彩色畫陶片被發掘,也有應該探聽「在複數的產地同樣格式的瓷器做成」可能性的這樣的意見的[7]。

    Mark Luis,你看的這件:"九谷燒 鵪鶉花鳥皿",只能說是近代的作品,連效法古九谷風格都談不上的,我找一找真的古九谷的老件,再貼上址給你參考

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  8. http://www.moaart.or.jp/collection/japanese-ceramics191/
    古九谷式樣
    http://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/lsnews/06/a01/00039972/?catCode=601006
    你若可以用搜尋的方式,查閱日本的YAHOO,或者GOOGLE來找尋"古九谷"
    應該可以得到更多的訊息
    (可以用翻牆軟體來達成你的要求)

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  9. 多谢赏星师!后面我发邮件给您,捎带我收的几个九谷图片,望评鉴!

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  10. MARK兄,你好,我已收到你发的邮件了,相關參考資料,我整理好了再发邮件給你

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  11. 你那兒方便用GOOGLE來搜尋九谷燒的資料嗎?

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